長野県民は長野の情報収集に余念がないことが<長野情報>からよくわかる。「長野県」「実録!これが本当の長野市の噂」といった長野県の情報コミュニティを日々チェックし、長野にいずとも長野のことをわかっていたいという姿が想像できる。そのため「長野県で若者の集まれる場所」情報を日々得ては帰省時に行くというようなスタイルなのだろう。また、「長野県ラーメン♪」「おやき」といった長野県民にとっての日常的なグルメ情報も支持される。長野県民はやはり常に長野を志向していることが<長野ブランド>からも窺える。七味は東京でも「八幡屋磯五郎」を使い、長野の誇りを忘れない。また関東に来た長野県民として<関東の長野人>がある。「長野から関東へ」「関東在住の長野県人集まれ♪」と、上京した長野県民としてのアピールが僅かながらにあるが、あくまで上京をアピールするのみで実際にオフ会などで集まるようなコミュニティではないことが特徴である。
最も支持率が高い<長野と私のいいところ>は「信州の方言」「ずくなし」といった長野の方言、および「長野県・温泉情報」「諏訪湖花火」といった長野の情報コミュニティで構成されており、長野県民は、自身の出身県のアイデンティティを方言に強く置いていると同時に、常に長野情報を更新し続けている。一方で「キュンとする瞬間が好き」「素直な気持ちを大切に。」と、純粋な気持ちを忘れない自己表現も同系統に属しており、長野県民である自分と純粋な自分とは不可分であると考えられる。
長野県民のわたしを表現する<マイペースな私>からは、「終わらない恋がしたい」けれど「めんどくさい」し「追い込まれないとダメな人。」な、マイペースでややおっとりした私語りが見て取れる。「撫でられるのが好き」で「涙もろい人」だけれど「意地っ張りな寂しがり屋…」といったやや情緒不安定な自分をよく知る彼らは、だからこそ自分がどんな人間なのかを常に測るために「心理(診断)テスト好き!」なのである。そんなやや内省的な長野県民は、自分にとっての「人生をめちゃくちゃ楽しむコツ」が「安心感ってめちゃ大事」で「のんびり過ごしたい」だということをよく知っている。
続いて、長野南地方と音楽に関する<歌詞と私>からは、「長野と言えば、南の方。」「大好き、飯田市!」のように長野南地方の情報に目を配ると同時に、冬には帰省し「スノーボード(スノボ)」を楽しむ姿が見える。加えて「こころに残る歌詞がある」と、歌に自分の気持ちを重ねるロマンチストな一面も併せ持つ。
長野県の東京<県民>スタイルは、親密圏と自由圏への分化を親密社交圏が繋ぐパタンである。まず、東京に生きる長野県民のリアリティは<マイペースな私>として生きることにあり、慣れない地で自分のリズムを保つために、気持ちを代弁してくれる<歌詞と私>が欠かせないことが自由圏への特化からわかる。一方で長野県民の心は常に<長野情報><長野ブランド>といった故郷の現在を志向し、ネットワークを通じて故郷のイマを探る。このような分化を繋げるのは親密社交圏の<長野と私のいいところ>、すなわち東京という地で唯一安心できる同郷の者同士で集い、マイペースな私を理解し合いたいというメンタリティなのだ。このように、長野県のスタイルは分化された親密圏と自由圏を親密社交圏で結合させたパタンとして東京<県民>スタイルのモデルの一例に位置づけられる。